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■ 付喪神 05年03月04日

この間、トライ・アンド・エラーというメモを書きました。 そこでは「何度も占う事は是か非か」と言う事を書いたのですが、 それに付随して一つ思い出しました。

何度も占う事に対して、初心者向けの解説書などでは 「正確な答えが出ない」 「タロットの神様が怒ってしまう」 「タロットに呪われる」 などと書いているものがあります。

一つ目はいいとして、注目するべきは二つ目と三つ目です。 タロットの神様、タロットの呪い。 この発想はすごい。


タロットは単なる紙です。 それも上質紙でもありません。 日本で一番有名であるライダー版なんて、ボール紙に近いような紙質です。

今のタロットカードは、 大して上等でもない紙に大量印刷して出来上がったシロモノです。 同じ出来のタロットが、何万何十万と存在します。

機械で大量印刷して作られ、 同じく機械で大量印刷して作られた解説書と一緒に箱に収められ、 問屋など仲介して世界中に売られていきます。 その間に輸送業者の手を渡り、小売店の棚に陳列されます。

この過程だけ見れば、タロットも漫画雑誌も変わりません。


しかし、そのお手軽なタロットに神を見る。
大量印刷の神束に呪いを感じる。
これは日本ならではの発想ではないでしょうか。

日本には昔から付喪神という妖怪がいます。(いやいるのかどうか知りませんが) 付喪神と言うのは、長い時を経た物が魂を持ち、妖怪へと変化したものです。

物には魂が宿る、そうした考えが昔からあります。 草履だって着物だって箪笥だって、付喪神という神になる。 動物だって神になる。長生きすれば、妖怪へと変化する。

もちろん、物に神性を見る事そのものは珍しくないでしょう。 宗教が発展するもっと前には、太陽や海や森に対して神を見ていました。 その時代であれば生活に密着したもの、 家や台所や山に対して畏敬を抱き無事を願う事もあったでしょう。

でも、大量に作られて使い捨てられる物達を神に仕立ててしまう、 それはなかなかにすごい発想ではないでしょうか。

この考え方、私はとても好きです。 ただのお椀や長持ちが神になる国です。 長生きすれば、それだけで変化できる。


そして、そうした民話や伝承に興味がない人でも、 何となく「タロットに神が宿る」と言う考えを信じてしまう。 ここに、タフに息づいている日本文化の息づかいを感じます。

やれ日本語の乱れだ、やれ最近の若者はなどと言われていますが何のその。 昔々から続いている伝承は形を変えて、 それぞれの中に残っているのではないでしょうか。

仏教に押し寄せられても神仏和合で乗り切って、 神社が寺になっても、ご本尊を隅に追いやっても、 端午の節句もクリスマスもお正月もイベントとして定着させて、 そうやってあちこちの風潮に流されているように見えながらも、 その実は全て吸収して作り替えて定着させる柔軟性がある。

今後もどんどんどんどん変化して、百年後はすっかり様変わりしている事でしょう。 それでも結局残っているでしょうね。 日本的な考えや文化が形を変えて。

いやはや、すごいものです。


と言う事で、「タロットの神様が怒る」とか「タロットの呪いが」と言う考え方、 私はとても好きです。 でも、それに振り回されるかどうかは、また別問題でしょう。






 



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