とても気が合って、意見が一致して、趣味が共通していて、あうんの呼吸の友達や彼氏。でもそんな相手であっても、100%ピッタリ考えが一致する事はありえません。
人の「同じ」と言う感覚は大層あいまいです。
例えば「私は夏が好き」と言う意見に「私も同じ!」と言った時、どれほどの一致点があるでしょうか? ひょっとしたら相手は海が大好きで泳ぎに行ったり焼きに行ったり出来るから、好きと言ってるのかも知れません。
でも自分はキャミソールやミュールなど夏に活躍する服飾雑貨を好むから、好きと言ってるのかも知れません。相手は自分が好きなキャミやミュールを嫌いかも知れないし、自分は紫外線に当たるのを嫌いかも知れません。
「同じ」と言ってる「好き」は、全体の一部だけで残りはマッチしない事もあるでしょう。それでも人は同じだと感じます。一つの同じを見つけたら、次も同じだろう、そうした予測を立てるからかも知れません。
好きな人と私には共通点がある、理解し合ってる私たちはきっと同じはず、そうした気持ちは誰でも持ってしまうものでしょうね。
でも、だからこそそれが思いこみであったと気づいた時には、ショックを受けるのでしょう。
ずっと同じだと信じていたものが実は違っていた、それに気づいた時に次から次へと「違い」を見つけてしまいやすくなります。好きな間は気にならなかった欠点が、気持ちが行き違った時に気になってくるのと同じでしょうね。
では、この反対の場合はどうでしょうか?
「違う」と思っていたものが、実は「同じ」だったら?今まで苦手だと思っていて避けていたのに、とてもしっくり来たらどうでしょう。
とても嬉しいでしょうね。そして、「同じ」が間違いだったと気づくのと同じように、「違い」が同じだったと気づく事もたくさんあります。
さて、長くなってしまいましたが、何だか同じなのか違いなのか、わかりにくくなってしまいましたね。そうです、同じと感じる事と違うと感じる事は、そう大きな差はありません。
厳密な事実に基づいたものではなく、あくまで感覚に基づいた場合は、ほんの少しのズレで同じになったり違ったりします。同じだと思っている時に、違いがたくさんあるかも知れませんが、違うと思っている時にも同じがたくさんあります。
今月、貴方が対人関係で揉めてしまったり、進捗に障害が発生した時は、この事を思い出して下さい。事態は貴方が思っているほどには悪くないかも知れません。障害ばかりが目に付いていているだけでしょう。そして皆が皆、同じように思い悩み立ちすくんでいるのかも知れません。
キーワード:ソードのキング(R)、カップのキング(R)、ペンタクルの8(R)
結果 :`ソードのペイジ(R)
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